プロフィール

司法書士行政書士吉村健

司法書士行政書士
吉村 健(ヨシムラ タケシ)

  • 簡裁訴訟代理等関係業務認定会員
  • 一般社団法人 日本財産管理協会認定会員
  • 民事信託士

ご挨拶

司法書士・行政書士の吉村と申します。大学卒業から十数年システムエンジニアをやっていましたがもっと直接的に人の役に立てる仕事がしたいと考え、資格を取って脱サラしました。縁あって藤沢市の辻堂で開業し、現在は相続の分野を中心に地域の方々のお役に立つべく活動しています。

 

相続と無縁でいられる人はいません。自分自身もその周りの方達もいつかは亡くなります。また、65歳以上の4人に1人が認知症とその予備軍でありこの数は今後も増加していくと考えられています。死や老いに備え、生命保険や医療保険に加入されている方は多いと思いますが、一方で遺言等の法的な準備をきちんとしている方はまだまだ少数だと思います。この理由は「何だかよくわからないから」に尽きると思います。

 

法律の専門家として、わかりにくいことをわかりやすく、どんな選択肢があるのか情報をご提供し、司法書士・行政書士は何ができるのかを知っていただき、皆様にうまく使っていただければと思います。

 

また、司法書士の中心業務である登記(不動産登記・会社登記)ももちろん取り扱っております。

 

お困り事やご心配事がございましたら何でもお気軽にご相談ください。

略歴

1978年 京都市左京区生まれ
2001年

関西学院大学 文学部 心理学科 卒業
神奈川県川崎市のIT系企業に就職、証券会社のシステム開発に従事

2009年 行政書士試験合格
2013年 司法書士試験合格、退社
2017年 東京の司法書士事務所(2か所)にて修行の後、神奈川県藤沢市辻堂にて独立・開業

その他保有資格

  • 宅地建物取引士(未登録)
  • 証券外務員一種(未登録)
  • 日商簿記2級
  • 二級ファイナンシャル・プランニング技能士
  • 高度情報処理技術者(プロジェクトマネージャ)
  • 高度情報処理技術者(アプリケーションエンジニア)

趣味

  • フットサル

自己紹介(生い立ち〜開業まで)

自己紹介をもう少し詳しく書きます。

 

出生〜大学卒業まで

私は京都生まれの京都育ちです。京都市内の左京区という地域です。地図で見ると右側(滋賀県側)が左京区です。とは言え、父は大分県、母は新潟県(佐渡島)出身なので、代々京都に住んでいるというわけではありません。

 

両親ともに地方公務員で、弟が1人います。ごく一般的な家庭だと思います。小中高と地元の公立学校に通い、特にグレることも引きこもることもなく、平凡な学生だったと思います。

 

中学の3年間はラグビー部でした。昔も今もヒョロヒョロのガリガリ体型なのでこれを言うと驚かれますが、体型がコンプレックスだったからこそ敢えて入部したんじゃなかったかな、と記憶しています。

 

高校時代は部活動もせず無為に過ごしていました。大学受験が迫っていましたが、当時は法律にも経済にも全く興味がありませんでした。調べているうちに心理学を学べる大学があると知り、どうせ4年も勉強するなら少しでも興味が持てる事を、と考えて兵庫県にある関西学院大学の文学部心理学科に入りました。

 

実際に大学で学ぶ内容は、心理学という言葉からイメージするものとは大きくかけ離れていました。データを収集して数値化し、コンピュータを用いて統計的手法で分析する、といった感じで、性格診断や深層心理テストといった類のものは科学的根拠がなくあんなもの心理学ではないと完全否定するような所でした。

 

心理学科卒と言うとよく「心を読まれそう」と言われますが読めません。読めたら苦労しません。これは心理学科あるあるらしく、合コンで女性から「私の心読んでみてー」と面倒くさい事を言われたらそれを顔に出さず「わかるよ、俺のこと、好きなんだろ」と返しておけと先輩に教わりましたが、使ったことはありません。

 

卒論のための研究で脳波の分析を行っているうちに、だんだんコンピュータのほうに興味が移ってきたのでIT系の企業に就職することにしました。

 

就職〜司法書士試験合格まで

私が就職したのは中堅の証券会社のシステム子会社で、新川崎に本社がありました。証券や金融に興味があったわけでも、関東に出てきたかったわけでもありませんでしたが、就職氷河期で選択の余地は少なく、成り行きでそうなりました。

 

横浜市の日吉(慶応大学の近くです)に社員寮があり、30歳手前までそこに入っていました。その後会社が東雲、豊洲と移転したこともあり、寮を出て品川の大井町に引越しました。

 

若いうちから責任ある仕事を任せてくれる会社で、成長を実感することができましたし、やりがいも感じていました。ただ、何となく頭の片隅で常に「一生サラリーマンで終わりたくないな」とも思っていました。

 

IT技術者向けの情報処理技術者試験という国家試験があり、会社に半ば強制的に受験させられるのですが、28〜29歳頃に割と難しめの試験に合格し、「試験って勉強すれば受かるんだ」と当たり前のことを実感しました。ただ、この資格を持っている人しかできない業務というものはなく、名称の使用制限もないので、資格もないのに名刺の肩書きに「プロジェクトマネージャ」などと入れている人もいました。

 

どうせなら排他的な専門分野を持ち、独立もできるような資格を取りたいと思い、調べた結果、大きく会計系(公認会計士、税理士等)と法律系(弁護士、司法書士等)の2つがあることが分かりました。あまり深く考えず「お金の計算って何となく苦手だな」と思い法律系を目指すことにしました。

 

法律は全く勉強したことがありませんでしたが、行政書士試験には1年で合格できました。そこで調子に乗ってもう1段上のレベルの資格を取ろうと司法書士の勉強を始めました。名前も似てるし、行政書士より少し難しい位かなと軽く考えていましたが、実際やってみると100倍難しく、3回目の受験でようやく合格できました。35歳になっていました。

 

予備校に通ったり教材を揃えたりして時間もお金も掛けていたので退くに退けなくなり、最後は殆ど意地で乗り切りました。最初からこんなに難しいと分かっていたら目指さなかったと思います。

 

ちなみに、たまに聞かれますが、弁護士を目指したことはありません。法律に興味を持ち始めた頃、ロースクール制度が始まっていましたが、大金を払って3年間通学して卒業し、3回以内(現在は5回以内に緩和されました)に司法試験に合格し(合格できないとロースクール卒業が無駄になる、俗に「三振」と言うそうです)、更に1年の司法修習を経てようやく新米弁護士になったはいいが就職先がない、という状況で、30歳を過ぎてから目指すにはあまりにもリスキーで、費用対効果が低いように思えました。

 

司法書士は受験資格に制限がなく、試験に合格さえすれば独立に制限もなく(例えば、税理士は3年の実務経験が必要)、登記を中心としたニッチな分野の専門家で試験の内容も実務的なので独立しやすい、といった点が魅力でした。

 

退社〜独立開業まで

私が司法書士試験に合格した頃、会社は2度の大きな合併を経て、誰もが知る超巨大金融グループの傘下となっていました。要職には銀行からの出向者が就き、いわゆる「大企業」という感じの、入社当初とは全く違う会社になっていました。また、システム開発は人件費の安い中国等の海外や下請会社に発注するようになっており、自分たちの仕事は予算の管理が中心で、もはやエンジニアと名乗れるものではなくなっていました。

 

そんな状況で会社に嫌気が差していたので、合格発表のその日に上司に辞めると伝えました。

 

会社を辞めて司法書士の新人研修を履修した後、二子玉川にある司法書士事務所に就職しました。司法書士たるもの、不動産売買の決済ができなければと思い、決済業務が中心の事務所を選びました。

 

36歳になっていましたが、年下の事務員さんに仕事を教わることに抵抗はありませんでした。新しい業界では自分は1年生なのだと、会社を辞めた時から肝に銘じていました。

 

正直、司法書士の仕事は会社員時代の仕事に比べるとやりやすく感じました。何をすべきか正解がはっきりしている仕事だからだと思います。もちろん、試験勉強で積み上げた法律の知識があるからなのでしょうが。

 

1年半程経って、決済以外にも幅広い業務経験を積みたいと考えていた頃、同期合格者から誘いを受けて国立市の事務所に移りました。そこでは金融機関の融資案件や相続・遺産整理案件、会社の設立や変更登記、裁判所への各種申し立て等々、実に様々な経験をすることができました。

 

更に1年半程が経ち、司法書士業界でやっていける自信がついた頃、会社員時代の同期入社の元同僚が、藤沢の辻堂に家を買ったけど少し広すぎるので、2階部分を事務所として使わないかと言ってくれました。(ちなみに彼がその家を買った時の決済および登記は私がやりました。)

 

辻堂にも藤沢市にも縁もゆかりもありませんでしたが、法務局も近くにあるし、最近発展していて勢いがあるし、かといって都心ほどゴミゴミしていないし、海が近くて気候は温暖だし、一生住める良い街だなと思い、この地での開業を決意しました。

 

この仕事を始めて良かったなと思うのは、人の役に立っているという実感が得られることです。会社員時代は時に数億円規模のプロジェクトに携わることもありましたが、「ところでこれ何の役に立つんだっけ?」と今一つ意義を実感できずにいました。また、システムはちゃんと動いて当たり前なので、きちんと仕事をしても誰からも褒められたり感謝されたりすることがなく、そのこともモチベージョンを保てなかった一因だと思います。(例えば、ATMからちゃんとお金を引き出せても誰も感謝しませんが、引き出せなくなると大クレームです。)

 

会社員時代は収入は安定していましたが、辞めて後悔したことは一度もありません。車や家に興味はないし金のかかる趣味も持っていないので、事務所を大きくして稼ぎたいという野望はないのですが、自分の仕事が一人でも多くの方の役に立って喜んでもらえればと思っています。特に、今後ますます高齢化が進む中で、生前の対策から死後の諸手続きまで幅広く、相続に関する様々な問題について取り組んでいきたいと考えています。